理解が進めば進むほど絵の表現に関して深度が増す気がするのです。
例えばモチーフを写真に撮って機械的に線でなぞってもビックリす
るくらい感動しない絵と呼べないモノしか作れないとか、ただ線を
引けばいいってワケではないらしいコトが少し分かってきたから描
き手の外から覗いしれない内面について少し考察してみようかなと
思ってます。
描いてる時のお困りケースで1.見えてるのにその通りに描けない、
2.概念的に正解を知っているにもかかわらずそういう風に見えない
(からこのヒト間違ってると思われがち)、が自分にとってあるある
なんですが、問題の本質をテクニックや経験に負わせるかそれとも
センスや考え方の未熟さから来るモノと定義付けるかでまずひとつ
めの選択の分岐が発生しますよね。
1.見えてるのにその通りに描けない
→この現象はしょっちゅう出くわしますが、目元など入り組んだ造形
がどうしても見たまま拾えないです。テクニックや経験不足に責任を
押し付けても前進しないので自分は立体物に対する理解度の浅さだと
捉えて何度も何度も眺めてどういう理屈でこう見えるのか考えます。
2.概念的に正解を知っているにもかかわらずそういう風に見えない
→左脳なら「首筋から肩にかけて末広がりの八の字に描きゃいいじ
ゃん」でテンプレの首のカタチをおざなりに引くでしょうが、網膜
に写った像を紙に落とし込むコトを放棄するなら絵の勉強するなっ
て言いたい。でも見ないで描いてる事例は数多存在します。
勉強じゃなく訓練に近いかもしれませんが左脳の囁きは聞かない。
そうするとちょっとした角度の違いで「らしく」見えない=うまく
描けないの悩みが出ます。
もう理解を深めるしかないから、正解に一気に飛びついてもプロセ
スを経てないから浅くて軽いまま次のステップに行ってるだけ。
答えは写真画像にあるからチラ見してもいいので自分の中に答えが
湧き上がるまで粘ってやっと課題クリアでしょう。